土屋公雄アートプロジェクトチームスタッフの木村です。
先日、東日本大震災のボランティア活動をRQ市民災害救援センターを通しておこなってきました。
まだ昨日の今日の話で、頭の整理ができていないため、箇条書きでいくつか書かせていただきます。
気仙沼で一人の小さな女の子と仲良くなりました。
もともと子供と遊ぶことは好きなので、私は何気なくその子と遊んでいただけでした。
ボールを投げたり、ボーリングみたいなことをしてみたり。
約30分ほどの間、その子のやりたいということを一緒に考えてやってみる。
そんなことをしていると、その子のおばあさんが私に「助かります。」とお礼を言ってくれました。
その一言に、私は驚きました。
そして、この震災に対して一番の実感を与えてくれました。
津波の被害にあった場所の漂流物の撤去•整理•分別作業をしました。
いろいろなものが入り交じる土を掘り起こし、建材や衣類•石•樹木、そして思い出の品など出てきたものを仕分ける作業です。
作業をしていると、時折写真が出てきます。
しかし、ほとんどが水に濡れ、写っているものが見えない。
その中に数枚、一部だけ鮮明に残る部分がありました。
運動会の写真や、記念写真…。
そして、振り返るとそこには何もない景色が広がっていました。
漠然と何があったか想像はできますが、元の姿は全く想像することができない。
部分的に山の木が枯れているので、そこまで津波が押し寄せたという痕跡をみることができます。
津波の恐ろしさを感じました。
家が全壊した。
家が半壊した。
それによって補助金が変わります。
そんな話をニュースでよく聞いていました。
ひどい話だと思いながらも、いまいち実感がありませんでした。
気仙沼で、あるおばあさんと話す機会がありました。
「私の家は基礎が弱かったので、家は壊れてないけど流された。全壊だった方がよかったよ。」
と、おばあさんは話してくださいました。
おばあさんの家がどこなのかはわかりませんでしたが、見渡すと、一階がない家•基礎がない家•傾いた家…。
そこには確かに家の形はあります。
私は、何も言えませんでした。
今回、一番感じたこと。
それは、何がどうなれば復興完了なのか。
作業はどこで終わりといえるのか、ということでした。
漂流物の仕分け作業だけでいっても、掘り起こせばどこまでも何かが出てきます。
そうした作業をしながら周りを見渡すと、そういう場所が一面に広がっています。
いつかどこかである線を引かなくては次のステップに進めない。
それは頭の中ではわかるのですが、その線がどこにあるのか私には見えませんでした。
ささやかかもしれませんが少しでもその線を引く前にできることが多くなるよう、また行かなくてはと思いました。
現地にはまだまだ人手が足りていません。
そして、まだまだやることがあります。
作業の種類も様々で、どんな方でも力になれる仕事があると思います。
お盆休みや夏休みが終わり、これからさらにボランティアとして来ることができる方が減少することが予想されます。
少しでも多くの作業が進められるよう、短い期間でも足を運んでいただけたらと思います。



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